第一章 女性議員は何故少数なのか (1)これまでの掛川市の女性議員の数

先日、こんな言葉を聞いて、びっくり仰天しました。
「この地区に現職議員はおられ、次期選挙にも出馬されるのだから、あなたが出ても応援はできないし、出るようなことをしたら、今後あなたはこのまちにいられないかもしれないし、思いとどまった方がいい」と言われた市民がありました。
これが12万都市に住む市民の言葉でしょうか?選挙というものが、このまちではある意味特殊なコミュニティーの中で作り上げられていて、誰にも門戸が開かれていないという現象に映ります。ロボットが家庭に普及するAI時代がくるそんな社会で起こっている現実に驚いています。
 
いまだに選挙がこの様子ですが、それでは、掛川市は議会制度ができて以来、何人ぐらいの女性議員を輩出したのでしょうか?
市役所の議会事務局調べによると、昭和30年5月、石田りよ様が初めて女性市議となられました。2期されて、入れ替えの様に松浦顕子様が38年から1期。その後20年間女性市議は途絶えてしまいました。高度成長期には女性議員はいなくても良かったのでしょうか?
昭和62年に松浦町子様が当選され、平成7年まで2期務められ、福井まつ子さんが平成3年に当選されここで初めて市議会に2人の女性市議が議場にいたことになります。その後松浦和子様と堀井徹子様が平成7年から15年の合併までされましたので、3人の女性議員が活躍したことになります。平成15年の合併前選挙で、2人の女性が入れ替えのように市議になり、4期目の福井様を含めて女性議員は3人。増えないで横ばいでした。新掛川市になり、17年の市議選では15年に市議になった2人の女性が再選され、2人になり、定数削減で女性市議も減少しました。21年の選挙では現職2人は出馬せず、1人の女性候補者が立候補するものの、当選には至らず、女性市議がいない議会となりました。当時十万人以上の都市で、四国の今治市と掛川市だけが女性0議会でした。平成の25年の選挙にてようやく女性市議は1人誕生しました。
以上は旧掛川市エリアの様子です。

合併した大須賀エリアはどうだったでしょうか?
平成5年に増田正子様が1人女性町議をされています。次の選挙で金原和子様が平成9年からお出になって、平成13年まで2人の女性町議が議席についていました。その後1人も女性がいない議会になり、4年ごの17年1月に1人女性町議を輩出しています。17年4月にはすぐに合併後の選挙があり、ここで、大須賀エリアから女性議員はいなくなりました。

もう1つの合併したまち大東エリアはどうでしょう?
実は議会制度が始まって以来、お一人の女性議員も輩出できなかったエリアなのです。
女性議員がいなくても困らなかったのか、男性優位社会なのか、選挙の考え方が古風なのか、懸命で聡明な女性たちが大勢おられるにもかかわらず、勿体ないことでした。

このような掛川市でありますが、今後24人から21人に定数削減にるため、厳しい選挙が予想されます。日本の変化が大きく変化する兆しがあることから、次期選挙は大切な位置づけでしょう。

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