「もう騙されない!」と私の友人の女性は言います。民主党には次の選挙で自分の考えを伝えると言うのです。これは大方の思いなのかもしれません。
外交・防衛でつまずき、「コンクリートから人へ」もどこかに標語を置き去りにしています。選挙と言う民主主義の適切な手段で、政権交代が実現できたことは世界に自慢できることでした。しかし今国会はどこかの劇場か?ここまでの混乱する姿をさらさなければ、国は変われないのか?
政権交代をする以前、選挙のためのマニフェストはリーマンショックも大地震も原発事故も想定しない中での策定。神のみ知る予測不可能な国難の事態に、どうすることが正義なのか。
公約として訴えたことを忠実にどんなにも取り巻く環境が変わっても同じ主張をし続けることが国民を幸せにすることか?将来を見据えて国民が幸せを実感する社会の創造は、政治家の責務。
遅ればせながら、サンデルの「政治哲学 正義は何か」を読み始めています。私達は何をしようとしていたのでしょう、検証したいのです。政権交代する意義は何だったのかを深く考えたいと思います。
マスコミが取り上げない「消えた年金は1兆5千億も受給者へ」「事業仕分けで1兆7千億の税金の削減」「地方一括交付金(地方で使い方を考える)4兆4千億円」「子供手当の実施後出生率は1.26から1.39へ」「教育予算が5兆7千億円、35人学級の実現」「高校の無償かで学び直しも」「生産者の評価が高い農業の戸別所得制度」「診療報酬改定で救急医療の改善」「1500億円の自動車税減税」「郵政民営化改正法案で地域セーフティネット再構築」など多くのことが実は成果をあげています。
でも私の前述の友人は、民主党政権後の施策展開を言えば言うほど言い訳に聞こえるようです。それは何故だろう?消費税も、今すでに財源が足りないから、社会保障が行き詰まるから、国際社会での約束事だから、という現実ではなく、「こういう日本の姿を創造る為に増税する」と言う方が夢があります。
私達の政権交代という3年前の国民運動の基本的理念は、雑駁で整理が出来ていなかったのではないでしょうか、そう考えてしまいます。
何故、私は、この活動をしたかを充分考える必要があります。私はサンデルの授業から大事な示唆があるように感じてます。国家の為、国民の為の正義は、今どうすることなのか。
国会や国会議員、官僚を批判するのは容易いのですが、私達国民はどういう日本にしたいのか、将来ビジョンを持たなければならない重要な時期なのでしょう。意見のない批判や時間軸の無い批判は何も生みません。
世界の何処も経験したことがない、大変難しい国づくりをする日本です。少子高齢化の中で、財政再建を、デフレ脱却を、そして産業構造の転換も合わせてしなければならない、何処の国よりも厳しいものです。覚悟はどの程度でしょうか?本当に今までと異なる時代が来ているのですから。国会劇場はいつまでおやりになるのでしょうか?時間は無いはずです。